習熟度別授業に対する考え方

「習熟度別」を巡って少し - Living, Loving, Thinking, Again

トラックバックを頂いたので読みに行ってきました。

「「学力」は基礎から上に積み上げて形成されるのではなく、逆に上から引き上げられて形成されていく」(『学力を問い直す』、p.45)ということとは矛盾している。

たとえば、小学生の算数で一番つまずきが多いのは分数の計算ですが、分数の計算の方法を習得したとき、多くの子どもが分数の意味や計算方法の意味を理解していません。分数の意味が納得でき、その計算の意味がわかるのは、通常、比例を習ってからです。(pp.45-46)

 なるほどと頷ける考え方です。たしかに私も教わった当初は暗記して意味は理解していなかったことを先の段階に進んでからあれってこういう意味だったんだと理解したことがたくさんあります。

 でも、比例を習ったときに分数の意味を考えられる子供ってもうすでにある程度理解力がある子供じゃないでしょうか?塾で教えていた時の感覚では、すくなくともそういう思考ができる子は学力を高中低に3分したときに中の上くらいの子でないとそういう思考はできていない気がします。

 中学生を教えていて、理解につまづいている子とマンツーマンで授業をしていると、小学生で習う内容で勘違いがあったりしているケースがかなりあります。で、基礎の基礎に立ち返ってじっくり教えると理解してくれるんですよ、時間さえかければ。教える側からすると低学力の子に基礎を教えることに時間をたーんとかけたいんです。でもレベル分けしてないとそれはできないんですよ。

 この理解につまづいてる子は低学力のごく一部の子かというとそうじゃないんです。中の中ぐらいでも基礎の基礎でなにか勘違いしてたり覚えていなかったりしている子はたんまりいるんです。

 なので学力別にクラス分けして、低学力の子の成績が固定化されるってどうしても納得しがたいです。やっぱり勉強って積み上げていくものだと。土台でつまづいている子は、そこを整理してあげないと応用に進めないと思うのです。

 あと、なぜ私が学校の授業が効率的であることを望むかといえば、自分が金銭的な問題で私学や塾に通えない家庭に育っているからなのかなと思います。公立校の授業が非効率的だから、私学にいったり塾に通ったりしなくてはならない状況って貧乏人には厳しい状況です。金銭的な問題で学歴に差が出来て、将来に影響が出ちゃう状況ってそれこそ格差社会って奴になります。だから、公立校の授業はやる気がある子ならば塾に行かなくても、私学に通わなくてもある程度はなんとかなるレベルであってほしい。そのためにいろんな教育論を真剣に考えてより良い教育をしてあげて欲しいと思っています。

 なので習熟度別指導って考えにもいろいろ問題点があるのかもしれないですが、問題点があるから頭から否定するのではなく、どう改善すればより良い方法になるか建設的に考えていきたいと思っています。