公開してはいるけれど ...
情報公開とかガラス張りだとかのこと : 以前のとっくりばー(移転しました)
私は情報公開をする側、される側で分けると、する側(請求される側)に属する職業についていますので思うところがありました。
「情報公開されている事柄を、きちんと理解していないことで不利益を被ったとしても、それは自己責任」という考えにはすぐにはうなずけません。私もそれはあまりにも厳しすぎると感じます。
なぜなら、情報公開制度を利用して、ある情報の公開を請求して、それを理解するというのはなかなか敷居が高いものだからです。(公開する側の努力不足もありますので、反省します)
・小難しく書いていて理解しにくい。
公開する内容にもよりますが、一番求められるのが正確さです。情報公開を求めてくる方というのは、ある意味「あら」を探しに来ているという面もありますので、下手な情報は出せません。
もっと分かりやすく出来ないのか?もっとすっきりしたものに出来ないのか?という意見はごもっともなのですが、分かりやすくするために大事な部分だけを取り出してサクッと書こうとしても、物事には例外事項が山のようにあります。
その部分を無視して書くと、なぜ全部網羅してくれないんだ、その事項で不利益を被ったという方が出てきてしまいます。ですので、「さっぱりしていて読みやすいけれど不正確」なものよりは「全部網羅しているので内容的に正確だけれども、分量がどっさりあってとてもじゃないけれど全部は読めないよ」というものになりがちです。
・手続きが面倒くさい。
情報の中に個人情報や公共的な情報が混ざっている場合には、個人情報保護の観点から考えて、「はいはい、どうぞ自由に来て、自由に見ていって下さい」という事は出来ません。情報は簡単に見たい、でも自分の情報は厳重に管理して欲しい、という事にはなりません。
・あまり歓迎されない。
情報公開が義務化される情報というのは、基本的にその公開元からするとあまり発表したいものでは無いことが多いのではないでしょうか?自分たちの仕事っぷりをチェックされる面が多いですから。というわけで、頻繁に情報公開を請求してくる人物というのはあまり歓迎されません。表だってあからさまなことはしないでしょうが、内心また来たよーと思われているのではないでしょうか。
情報が公開されているといっても、あまり歓迎されないところに行って、面倒な手続きを取り、分厚くて専門用語いっぱいの公開文書を理解する。こんなことを要求されても普通の社会人としては困るんじゃないでしょうか?それだけを生業にしているなら出来るかもしれませんが、自分の仕事を持って自分の時間を持った上にそれを要求されるのは非常に酷なことだと感じます。
今回は情報開示請求などについて書きましたが、そこまでは面倒ではなくて、一般に手続き無く公開されている情報や広報などによって周知されている情報でも、似たような問題を抱えた情報なんて山のようにあります。そんな情報を、理解していないで不利益を被ったら自己責任というのは非情にも程があると思います。
だから「知らなくて損をした人を責めない」というとっくりばーさんの結論にとても安心感を覚えました。最近「耐震偽装」の問題とかでも、「会社を良く調べもせずに建てた人の自己責任」的な意見とかを目にしていて、それはないよなーと感じていたのでほっとしました。
結局一市民には、全ての情報を理解するのは時間的に無理なので、専門家に任せるしかありません。今しなくてはいけないのは、その専門家が不正を行わないような制度作りであって、知識不足の個人を責めることではないと思います。
(追記)ただし、とっくりばーさんの記事の言及先の記事の中の「彼女」に関しては、専門家ですので、掘り下げる時間があるはずです。もっとしっかりしていただきたいところです。