オシム監督はなぜ質問をはぐらかすのか

 木村元彦著「オシムの言葉」を読みました。私の中でのオシム監督のイメージは、オシム語録やマスコミのインタビュー記事がもとだったので、質問をはぐらかしたり逆質問したり、格言めいたことをいう若干言葉を弄ぶ人というイメージでした。ですが、この本を読んでそれは全くの誤解であり、オシム監督がマスコミをはぐらかしたり、少しオブラートに包んだような言葉遣いをするのかが納得できました。この監督の辿ってきた人生を考えると、用心深くなって当然です。

 オシム監督はユーゴスラビアの最後の代表監督でした。国家が民族ごとに分裂しようとしているのだから、当然民族主義が物凄い勢いで燃え盛っています。セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ボスニア人それぞれが自分の民族の選手を代表で使うべきだと猛烈に主張しています。その民族の代弁者であるマスコミや政治家もあらゆる圧力をかけてきます。その圧力に晒されながら、多民族の選手達をまとめあげ、分裂に向かって世の中がどんどん動いているときに勝ち続けたという一事だけでもこの監督の尋常ではない優秀さが分かるというものです。

 結局ユーゴスラビアは分裂し、内戦の結果ユーゴスラビア代表は出場資格を剥奪されました。この時代のユーゴスラビアにどれほど素晴らしい選手達が揃っていたかはサッカーファンには自明のことなので省きますが、その選手たちを率いながら勝ち続け、W杯に向けて手ごたえを感じていたのに政治的な理由で戦うことの出来なかった無念は私には想像できません。そしてその状態に追い込み、「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから、ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」と監督が考えているマスコミに対する警戒心が非常に高いのも当然のことです。

「私は別にテレビやファンに向けて言葉を発しているわけでない。私から言葉が自然に出ているだけだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実にはつらいことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体は真実であろうとう思われることを言うようにしているのだ」

 深い言葉です。彼の人生を辿ってから読むとさらに深いです。そしてこの本を読んでから「オシム語録」を読むと内容がすんなり頭に入ってきます。たとえていうならマキャベリ君主論(の抜粋解説本)を読んで分かった気になったあと、塩野七生さんの「我が友マキャベリ」を読み、再度君主論を読んだときの感覚です。ああ、私は全然わかっていなかった。その言葉はこういう背景があったから出てきた言葉だったんだと。今後のオシム監督の談話が楽しみです。じっくりと味わって読んだり聞いたりしたいと思います。

 この本の戦術論に関する部分まで感想を述べるとエントリが尋常じゃない長さになるので省きました。でも、「考えて」「アイデアを持って」「無駄走りを恐れず」「走る」サッカーは個人の身体能力や個人技で相手の守備を打開できない日本人には一番フィットする考え方なんじゃないかなと期待しています。

 あと、オシム監督は根っからの教育者であるとの描写もありました。この根っからの教育者は日本のマスコミを教育しようとしているような気がします。質問をはぐらかしたり、逆質問をしたりするときに、自分の考えを持て、日本の戦力を冷静に判断しろといったメッセージを送っているように思えます。オシム監督が日本に残す最大の功績は、マスコミを育てたことだなんてことになるかもしれません。そうなったらとても素晴らしいのになと思います。