教育の荒廃と劇薬

 国等が自由を制限しようとしてきた場合、批判の多くは国等に向かうことがほとんどだったと思います。では、今回の君が代・日の丸起立強制違憲判決について、教師側への厳しい意見が多いのはなぜでしょう。

両者の違いは何か - 今日行く審議会@はてな

 何故この記事の当時と現在では教育に関する考え方が異なるのか。何がその時と今では違うのか。それを他の色々な人の意見を読みながら考えていました。

 私の前回の記事のはてブコメントにこういうものがありました。

id:mahal と、教育を聖域化するには、教師は(生徒に対して)「力」があり過ぎるような気がするんでねぇ。あと、指導方針に反して軍国主義をやるウヨク教師出たらどないすんねん、とか。

 考えてみたら単純なことです。当時と今では学校・教師に対する信用度が違うのです。学級崩壊の記事が氾濫し、教師達の不祥事も後を絶ちません。制度は当時も今も「教育の中立性」に基づいて、教育の独立性が保たれています。これは想像ですが、当時は独立させていても大丈夫だという信頼感が今よりはあったのではないでしょうか?しかし今は、独立なんてさせていたら何をやるか分からないという不信感がある様に感じます。

 私は「中二病はお早めに - lawの日記」という記事でも書きましたが、新しく教師になった人間を洗脳するようなやり口をあまり好みませんし、不祥事の多さにも辟易しつつあります。学級崩壊の記事を目にすると日本の将来はどうなっちゃうんだろうと不安にもなります。なので学校や教師に対するもう少し何とかしてよという感情は当然だと思います。

 しかし、こういった人間社会の組織の不祥事を無くす特効薬はありません。風邪のように決してゼロには撲滅できないものでしょう。組織の活力を増し、雑菌に侵されにくくするなどという地道な努力でしか解決できないものだと思います。もちろん愛国心で不祥事が無くなるとも思えません。国を愛する心と女子更衣室を盗撮することに因果関係はないでしょうし。

 ただ、あまりに不祥事が続いているので、教育への国の介入も止むなしという考えの方が増えてきているのかもしれません。しかし、学校・教師の不祥事を無くす為に国の強権を発動するような行為は風邪の治療に劇薬を飲むようなものです。あまりに副作用が多き過ぎます。

 強権を発動して、ゴリゴリと学校の秩序維持に努めれば短期的に不祥事は減るかも知れません。愛国心を強制して植えつけることも簡単でしょう。それは、お隣の中国、韓国、北朝鮮を見れば分かることと思います。しかし、日本をあのような歪な愛国心の国にして良いのでしょうか?副作用が大きすぎる気がします。

 確かに教育の荒廃は重大な問題です。国の介入もやむなしと思えるほどの荒廃の仕方をした学校・教師にも責任があります。君が代不起立という活動をするくらいなら、国の介入の口実とならない様に教育現場を再建する活動に力を注いで欲しいと私も思います。最も効果的に国の介入を防ぐ方法は、学校が自浄能力を発揮して教室を平和に戻すことでしょうから。

しかし、いかに学校・教師への怒りや不満が大きくとも、即効性を求めて国の強制という劇薬を飲むような行為は副作用が大きすぎます。そのような事態にならないように願っています。