軽い罪の意識

 任天堂DSが店頭に並んでいました。あ、普通に買えるようになったんだなーと衝動買いをしていしまいました。最初のソフトは迷いながらも「逆転裁判-蘇る逆転」にしました。

 何故迷ったかというと、この逆転裁判シリーズはゲームボーイアドバンス版で1から3までプレイ済みだったからです。このDS版蘇る逆転はゲームボーイアドバンス版の1の4話プラス追加の新規シナリオの5話目という構成で、ゲームボーイアドバンス版をプレイ済みの人に取っては5話目だけの為に買うことになるからです。本来ですとこういう商法は好きではありません。なのに何故購入したかというと、逆転裁判が好きだというのはもちろんありますが、ゲームボーイアドバンス版のほうは友人から借りてプレイしていたからです。

 最近小説や漫画、音楽や映画などは中古で買ったりレンタルしたり、漫画喫茶の様な形態のサービスを利用したりして新品を作り手側からかわずに済ませられるものが増えてきました。それはとても便利で助かることなんですが、そういう風な手に入れ方をすると作り手に金が入らないから、その業界の衰退に手を貸しているんじゃないかとか、ただ食いしてるんじゃないかっていう軽い罪の意識が溜まって来るのです。

 知的生産物は形がない物なので、万引きや食い逃げとかに比べて罪の意識が乏しいのか、結構ただでネットから落としてきたりする人がいます。ただ、現行は警察に捕まるわけじゃないのでセーフという考え方をしてる人が多いですが、やっぱり泥棒は泥棒なわけです。小説のプロットにしろ音楽のメロディーにしろ、その人が脳みその奥の奥からのた打ち回ってひねり出してきたものです。板前さんが精魂こめてつくる料理と違うところは形があるかないかに過ぎません。

 まあ、ネットで落としてくるとかに比べれば、古本屋で本を買うとか漫画喫茶で本を読むとかは犯罪ではないのですが、こういう作り手側にお金を落とさないサービスがどんどん一般的になってくると、その業界全体のパイが小さくなって、生き残れる作り手が少なくなります。作り手側の競争が激しくなっていいじゃないかという意見もあるかも知れませんが、そうなるとバラエティーの豊富さが失われてしまう気がします。メジャーで一般受けしやすいものが生き残り易くて、マイナーだけど良い物を作る人たちが食べていけなくなって、徐々に画一的なサービスしか受けられなくなったりしそうな気がします。

 だからといって私が消費する全部の小説と音楽等を全部購入していたら食べていけなくなるわけで、そういうものを利用するわけですが、なんとなく軽い罪の意識があるので、本当に好きなものだけ損を承知で新品を買ったり、借りて面白かったものは次回から買うようにしたりするのです。それも単なる自己満足に過ぎないわけですけれども。なんというか、作り手側にきちんと利益がでる、その上で罪悪感なく安く消費できるシステムが早く構築されないかなーと思います。