国旗国歌強制に対する実力行使

 私の立ち位置は教育基本法改正反対ですし、この前の東京都の国旗国歌の判決の趣旨に賛同しています。教育には一定の自主性を認めるべきとこのブログでも書いてきました。でも、この件に関しては自分の考えを決めかねています。

http://www.asahi.com/national/update/1023/TKY200610230196.html

 うーん、東京都の時の判決は内心の自由を侵さないという趣旨でした。国歌斉唱を強制されても歌わないことと、式典を妨害すること。ここにはちょっと越えられない壁があるように思うのですがどうでしょう?

 東京都の判決のとき、「剣道不受講事件」がたとえに出されていました。自らの思想信条を守るために剣道の授業を受けなかった生徒を退学にしたのは、裁量権をこえる違法な処分だとする判決です。剣道を宗教的信念から拒否するという行為はマイノリティーでしょう。しかし、その思想・信条の自由を守られねばならないとするこの判決の趣旨に私は賛成です。精神の自由は是が非でも守らなくてはならない大事なものだと考えています。ですが、この剣道不受講の生徒が、剣道の授業を妨害したらどうでしょう?ちょっと話が変わってくると思うのです。

 人の心の中は多様なものなので、日の丸・君が代を日本国の象徴と思う人も、軍国主義の象徴と思う人もいます。だから歌いたい人もいれば歌いたくない人もいる。信条として耐えられない人に強制して弾圧するより、多少不協和音があってもお互いの自由を認めあう社会の方がましであると考えて強制はしない。ここまでには全く疑問なく賛成です。ですが、自分の信条に反する儀式だから妨害するというところまで行くと疑問を覚えます。それは他の人の思想・信条を侵していることになると思うのです。

 国旗国歌法は法として施行されています。その法律に納得がいかないのであれば、その法律をなくするために行動する自由はあります。でも、その法律に基づいて実施する行為まで妨害してもいいということにはならない。その行為を良しとしてしまうと、国旗国歌の強制とは別の危険があるのではないでしょうか。私も国旗国歌の強制には反対なので、心情的には分からないではないけれど、儀式を実力で妨害した行為を処罰してはいけないとすると、別の方面でゆがみがでそうな気がします。北海道はどのような考えでこの処分を撤回したのでしょうか?詳細の続報が欲しいところです。