まず考えるためのピースとして歴史を学んで欲しい

Archives - 内田樹の研究室

 色々と考えさせられる良エントリーだと思うのですが、はてなブックマークで厳しい評価の物があり、「これはひどい」タグとかがついていて驚きました。良い文章だと思うのですけれどもねー。

若い方のあいだにナショナリズムがさかんな理由にも納得がいった。
世界の歴史を知らない夜郎自大こそナショナリズムの培養基だからである。

 世界の歴史に関する基礎的な知識がないと、各国がどのように振舞って現代国際社会になったのか、その中で日本はどういう位置にあるのか、どう振舞うべきなのかが把握出来ないと思います。

 たとえば、ユダヤ教キリスト教イスラム教の関係性とイギリスがアラブで行った外交がどんなものだったかとかイスラエル建国の経緯などが分からなければ、今のイスラムイスラエルの軋轢に対して、両方の感情に配慮した立場で接していくことが出来ません。

 世界の第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたる流れが分からなければ、その中での日本の行動がどういう風に世界から見られていたか、大国にはどういう思惑があったのか客観的に見ることが出来ない。そうなると、第二次世界大戦での日本の行動の評価を下すことが出来ない。評価を下すことが出来ないと、現代日本が国際社会でどうあるべきかの指針も立てにくくなってしまうと思います。やっぱり世界史の基礎的な知識は必要だと思います。

「知識をふやす」というのは「同一平面上で水平移動域を拡げること」である。「知識についての知識をもつ」というのは「階段を上がること」である。

 これも非常にいい表現だと思います。忘れずに覚えておいてどこかで使いたくなる言葉です。もちろん引用元は明らかにしてですけれども。

http://d.hatena.ne.jp/spongey/20061027

 ほぼ同意です。ただ、一点だけ。

というわけで、こんなわたしが言うのもなんですが、「歴史」をやるなら、通り一遍の歴史だけでなく、考える歴史、「どういう視点の歴史」って問題とか、名前の残らない人たちにも焦点を当てて欲しいものですね!

 A事件とB事件にはこういう因果関係があり、そのあと世界は○○化していったということについて考える為には、まずそのためのピースとしてA事件とB事件というものを暗記する必要がどうしても出てきます。さらにその前後にどういう出来事があったかも知らないと流れも把握できません。関係性を考えるためには、その前提として考えるピースとしての知識が必要になってしまう。

 でも、世界の大事な出来事を古代から現代まで網羅するには高校の授業時間は少なすぎます。どうしても知識を詰め込むだけで精一杯になってしまう。でも、なんでこんな事件が起ったんだろうという疑問は持って欲しい。そしてピースの関連付けは大学に行ってから、もしくは社会人としていろんな出来事を見ていくときに自分で思考しながら関連付けていくしかしょうがないのかなと思います。

 私も高校のときは、ただただ暗記をさせられる授業にうんざりしていましたが、今となっては色々と歴史について考えるとき、調べたくなったときに取っ掛かりとして無理矢理覚えさせられた知識が役に立っているなと思います。やっぱり部品がないと物は組立てられません。高校生のときにその部品をせっせと蓄えるのは全然無駄じゃないと思います。だから、受験に関係ないから無駄って考え方は、その生徒の人生を貧しくしてしまうので悲しいことだと思います。