サウジアラビアの若者を見て
先日NHKのクローズアップ現代で、原油資源で潤っているサウジアラビアでは暮らすのに余りある程のお金を国が国民にばら撒いているので働かない若者が増えていると放送していました。
資源輸出国が羨ましいです。資源を売りさばくことで国にお金が入ってくる仕組みになっています。それに引き替え売ることの出来る資源のない日本は資源を輸入し、科学技術によって付加価値をつけて輸出する。そのお金でまた資源と食料を買ってくる。せっせと働くしかないんだよなーと、サウジに生まれたかったなーなどと思っていました。
でもそう考えると、日本という国は付加価値をつけることが出来なくなった時点で飢える国ということです。発展途上国といわれている国も、どんどん教育水準が上がってきています。工場施設の海外移転などによって技術力もついてきているのでしょう。日本は追いつかれたら物が売れなくなります。自国で日本と同じレベルの物を作れるようになったら、資源国の方が安く作れますから。
資源国は教育水準や労働力の質が下がってしまっても食べていけるので数学力や物理力が各国順位のなかで下がってしまってもたいした問題ではないけれど、日本は並の技術力の国になった時点で飢えてしまうわけなのですからゆとりなどを追求してはいけない国だったんですね。改めて考えてしまいました。なんだか疲れが出る結論です。
じゃあ文系は問題ないかというと、情報化社会になって膨大な情報に埋もれるようになった状況では、その情報を自分で整理して判断して自分の考えにして発信できるようにならなければいけないでしょう。でもおとなの小論文教室。 - ほぼ日刊イトイ新聞の山田ズーニー先生も言っているように、アウトプットする訓練を受けていないので自分の考えをまとめ、きちんと意見を相手に伝える能力が育っていないという問題点があります。
というわけで、やっぱり教育改革は必要不可欠な状況なのだと思います。ただ、その方向性が抽象的すぎて具体的にどういう改革をしようとしているか見えません。技術力が衰えて国が飢えてしまったり、情報の海に飲み込まれて自分の言葉で話せない国民が大量発生する前に、きちんとした教育を確立する必要がありそうです。教育再生会議の方にはもっと具体的に頑張っていただきたいなと思います。